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蒲原有明 劇壇の新機運
わたくしは劇壇の新しい運動が自由劇場の試演とまで漕ぎつけたことに就ては、勿論贊意を表し且つその成功を祈つてゐた。それと同時にかういふ運動は我邦に於て全く破天荒のことではあるし、第一囘の試演が蓋を開けるまではこの運動の効果に對し多少の疑懼を擁かないでもなかつた。即ち成功とは云はれぬにしても、劇壇の沈滯に對する刺戟ともなり、新藝術のために貢獻するところを期待しつゝ、果してそれがどうであらうかと、傍から觀てゐて危ぶんでゐたからである。それが愈實現されたのを見て兎に角大成功とは言はれぬまでも、その出來ばえの稍成功に近い域に及んでゐたことは、劇壇のために喜びに堪えぬところでもあるし、同時にまた小山内薫氏並に左團次一座のために祝盃を擧げてもよい次第である。わたくしはこの試演を見て、先づ以てこの具合ならば、第二第三の試演を續けて行くうちに、我邦でも眞に新しい創作劇の上場を見ることが可能であらうと感じ...
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蒲原有明 小山内謝豹
小山内君は一時謝豹といふ雅號を用ゐてゐました。それをおぼえてゐる人は恐らく稀でせう。もう十五六年も前のことになります。そのころ生田葵君のやつてゐた「活文壇」といふ雜誌に、知與子とか謝豹とか署名して、ちよくちよくシエレエの詩の飜譯が出たものです。「わが靈は魔に醉ふ舟か、夢を見る鵠の如」とか、「山、柯(こむら)、ま淵の間を」とか、さういふ詩句を讀むと行きわたつて充實してゐる中に、柔らかな調子がよく出てゐる。わたくしは全くこの未知の作者の技倆にひきつけられてしまひました。そこで生田君に頼んで、紹介されて、初めて謝豹君に會見する機を得たのです。小山内君がまだ麹町三番町に住まつてゐて高等學校に通つてゐた時代ですから、明治三十四年より後であつたとは思はれません。
謝豹の雅號については、第一にその字面がおもしろい。それでわたくしは特に興味をもつてゐるのですが、何でもホトトギスの異名だといふことです。暢氣...
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蒲原有明 「あひびき」に就て
わたくしが長谷川二葉亭氏の名を知りはじめたのは「國民之友」に出た「あひびき」からである。明治二十一年の夏のころであつたが、わたくしは未だ中學の初年級であり、文學に對する鑑賞力も頗る幼稚で、その頃世間にもてはやされてゐた「佳人の奇遇」などを高誦してゐたぐらゐであるから、露西亞の小説家ツルゲーネフの短篇の飜譯といふさへ不思議に思はれ、ただ何がなしに讀んで見ると、巧に俗語を使つた言文一致體その珍らしい文章が、これがまたどうであらう、讀みゆくまゝに、わたくしの耳のそばで親しく、絶間なく、綿々として、さゝやいてゐるやうに感じられたが、それは一種名状し難い快感と、そして何處かでそれを反撥しようとする情念とが、同時に雜りあつた心的状態であつた。
さてそれを讀み了つて見ると、抑も何が書いてあつたのだか、當時のうぶな少年の頭には人生の機微がただ漠然と映るのみで、作物の趣旨に就ては一向に要領を得なかつた。そ...
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2007-09-30T02:54:23+09:00
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蒲松齢 田中貢太郎訳 庚娘
金大用は中州の旧家の子であった。尤太守の女で幼な名を庚娘というのを夫人に迎えたが、綺麗なうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が起って金の一家も離散した。金は戦乱の中を両親と庚娘を伴れて南の方へ逃げた。
その途中で金は少年に遇った。それも細君と一緒に逃げていく者であったが、自分から、
「私は広陵の王十八という者です。どうか路案内をさしてください。」
といった。金は喜んで一緒にいった。河の傍へいった時、庚娘はそっと金に囁いた。
「あの男と一緒に舟に乗ってはいけませんよ。あれは時どき私を見るのです。それにあの目は、動いて色が変りますから、心がゆるされませんよ。」
金はそれを承知したが、王が心切に大きな舟をやとって来て、代って荷物を運んでくれたり、苦しいこともかまわずに世話をしてくれるので、同船をこばむこともできなかった。そのうえ若い細君を伴れているので、たい...
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2007-09-30T02:54:23+09:00
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蒲松齢 田中貢太郎訳 阿霞
文登の景星は少年の時から名があって人に重んぜられていた。陳生と隣りあわせに住んでいたが、そこと自分の書斎とは僅かに袖垣一つを隔てているにすぎなかった。
ある日の夕暮、陳は荒れはてた寂しい所を通っていると、傍の松や柏の茂った中から女の啼く声が聞えて来た。近くへいってみると、横にしだれた樹の枝に帯をかけて、縊死しようとしているらしい者がいた。陳は、
「なぜ、そんなことをするのです。」
といって訊いた。それは若い女であった。女は涕を拭いながら、
「母が遠くへまいりましたものですから、私を従兄の所へ頼んでありましたが、従兄がいけない男で、私の世話をしてくれないものですから、私は独りぼっちです。私は死ぬるがましです。」
といってからまた泣いた。陳は枝にかけてある帯を解いて、
「困るなら結婚したらいいでしょう。」
といって勧めた。女は、
「でも私は、ゆく所がないのですもの。」
といった。陳は、
「では、私の...
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2007-09-30T02:54:15+09:00
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中原中也 山羊の歌
初期詩篇
※改ページ
春の日の夕暮
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです
吁! 案山子はないかあるまい
馬嘶くか嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か
ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが
瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです
※改ページ
月
今宵月はいよよ愁しく、
養父の疑惑に瞳を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)る。
秒刻は銀波を砂漠に流し
老男の耳朶は螢光をともす。
あゝ忘られた運河の岸堤
胸に残つた戦車の地音
銹びつく鑵の煙草とりいで
月は懶く喫つてゐる。
それのめぐりを七人の天女は
趾頭舞踊しつづけてゐるが、
汚辱に浸る月の心に
なんの慰愛もあたへはしない。
遠にちらばる星と星よ!
おまへ...
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2007-09-29T02:53:51+09:00
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松本泰 緑衣の女
一
夏の夕暮であった。泉原は砂塵に塗れた重い靴を引きずりながら、長いC橋を渡って住馴れた下宿へ歩を運んでいた。テームス川の堤防に沿って一区劃をなしている忘れられたようなデンビ町に彼の下宿がある。泉原は煤けた薄暗い部屋の光景を思出して眉を顰めたが、そこへ帰るより他にゆくところはなかった。半歳近く病褥に就いたり、起きたりしてうつら/\日を送っているうちに、持合せの金は大方消費って了った。遠く外国にいては金より他に頼みはない。その金がきれかゝったところで、いゝ工合に彼の健康も恢復してきた。彼の目下の急務は職に就く事であった。彼はこの数日努めて元気を奮い起して職を求め歩いた。彼は以前依頼まれて二三度絵を描いたバルトン美術店の主人を訪ねて事情を打明けたが、世間の景気がわるいので何ともして貰う事は出来なかった。その時泉原が不図思い浮べたのは同店の顧客のA老人であった。老人は愛蘭北海岸、ゴルウェーの由緒...
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2007-09-29T02:53:49+09:00
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南方熊楠 十二支考 兎に関する民俗と伝説
この一篇を綴るに先だち断わり置くは単に兎と書いたのと熟兎と書いた物との区別である。すなわちここに兎と書くのは英語でヘヤー、独名ハーセ、ラテン名レプス、スペイン名リエプレ、仏名リエヴル等が出た、アラブ名アルネプ、トルコ名タウシャン、梵名舎々迦、独人モレンドルフ説に北京辺で山兎、野兎また野猫児と呼ぶとあった。吾輩幼時和歌山で小児を睡らせる唄にかちかち山の兎は笹の葉を食う故耳が長いというたが、まんざら舎々迦てふ梵語に拠って作ったのであるまい。兎を野猫児とはこれを啖肉獣たる野猫の児分と見立てたのか。ただしノルウェーの兎は雪を潜って※(「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2-94-69)鼠を追い食う(一八七六年版サウシ『随得手録』三)と同例で北京辺の兎も鼠を捉るのか知れぬ。日本では専ら「うさぎ」また「のうさぎ」で通るが、古歌には露窃てふ名で詠んだのもある由(『本草啓蒙』四七)。また本篇に熟兎と書くのは英語でラ...
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2007-09-28T02:53:48+09:00
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蒲原有明 龍土會の記
龍土會といつても誰も知る人のないぐらゐに、いつしか影も形もひそめてしまつてゐる。そのやうに會はたとへ消滅したものであるにしても、會員であつた人々は殘つてゐなくてはならないが、さて自分が會員であつたと名のりを揚げる特志者はまづ無いといつてよいだらう。然しどうやら會合のやうなものが存在して、そこへ最初から出席した二三のものには、今日でもなほ幾許かの追懷の情が殘つてゐるはずである。
その龍土會が實は終末期に臨んでゐて、却て外面だけは賑やかに見えてゐた時代のことである。毎月のやうにふえる新顏が、こつそりと會の正體を覗きにくる。何ともさだかならぬこの會合が文藝革新に關する或野心を包藏して、文壇一般を脅かすかのやうに、側からは見られてゐたのである。自然主義の母胎もまさしく此處であり、更にまた半獸主義、神祕主義、象徴主義などの、新主義新主張がその奇怪な爪を磨くのもこの邊であり、そしてそれが龍土會の機構...
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長谷川時雨 九条武子
一
人間は悲しい。
率直にいえば、それだけでつきる。九条武子と表題を書いたままで、幾日もなんにも書けない。白いダリヤが一輪、目にうかんできて、いつまでたっても、一字もかけない。
遠くはなれた存在だった、ずっと前に書いたものには、気高き人とか麗人とか、ありきたりの、誰しもがいうような褒めことばを、ならべただけですんでいたが、そんなお座なりをいうのはいやだ。
その時分書いたものに、ある伯爵夫人がその人は鑑賞眼が相当たかかったが、
あのお方に十二単衣をおきせもうし、あの長い、黒いお髪を、おすべらかしにおさせもうして、日本の女性の代表に、外国へいっていただきたい。
ああいうお方が、もう二人ほしいとおもいます。一人は外交官の奥さまに、一人は女優に和歌をおこのみなさるうちでも、ことに与謝野晶子さんのを
歌集『黒髪』に盛られた、晶子さんの奔放な歌風が、ある時代を風靡したころだった。
その晶子さんが、
京都の人...
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2007-09-26T02:53:56+09:00
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岡本綺堂 麻畑の一夜
一
A君は語る。
友人の高谷君は南洋視察から新しく帰って来た。日本でこのごろ流行する麻つなぎの内職に用いる麻は内地産でない。九分通りはマニラ麻である。フィリピン群島に産する麻のたぐいはすべてマニラ麻の名をもって世界に輸出されている。高谷君が南洋へ渡航したのも、この製麻事業に関係した用向きで、もっぱらこの方面の視察にふた月あまりを費して来たのであった。
フィリピン群島にはたくさんの小さい島があるので、高谷君も一々にその名を記憶していないが、なんでもソルゴという島に近い土地であるといった。高谷君が元船からボートをおろして、その島の口へ漕ぎつけたのはもう九月の末の午後であったが、秋をしらない南洋の真昼の日は、眼がくらむように暑かった。藍のような海の水も島へ近づくにしたがって、まるでコーヒーのような色に濁っているのは、島のなかに大きな河があって、その下流が海にむかって赤黒い泥水を絶え間なしに噴き出...
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2007-09-25T02:54:18+09:00
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佐藤垢石 雪代山女魚
一
奥山の仙水に、山女魚を釣るほんとうの季節がきた。
早春、崖の南側の陽だまりに、蕗の薹が立つ頃になると、渓間の佳饌山女魚は、俄に食趣をそそるのである。その濃淡な味感を想うとき、嗜欲の情そぞろに起こって、我が肉虜おのずから肥ゆるを覚えるのである。けれど、この清冷肌に徹する流水に泳ぐ山女魚の鮮脂を賞喫する道楽は、深渓を探る釣り人にばかり恵まれた奢りであろう。水際の猫楊の花が鵞毛のように水上を飛ぶ風景と、端麗神姫に似た山女魚の姿を眼に描けば、耽味の奢り舌に蘇りきたるを禁じ得ないのである。
青銀色の、鱗の底から光る薄墨ぼかしの紫は、瓔珞の面に浮く艶やかに受ける印象と同じだ。魚体の両側に正しく並んだ十三個ずつの小判型した濃紺の斑点は、渓流の美姫への贈物として、水の精から頂戴した心尽くしの麗装に違いない。しかも藍色の背肌に、朱玉をちりばめしにも似て点在する小さく丸い紅のまだらは、ひとしお山女魚の姿容...
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2007-09-25T02:54:15+09:00
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芥川龍之介 偸盗
一
「おばば、猪熊のおばば。」
朱雀綾小路の辻で、じみな紺の水干に揉烏帽子をかけた、二十ばかりの、醜い、片目の侍が、平骨の扇を上げて、通りかかりの老婆を呼びとめた。
むし暑く夏霞のたなびいた空が、息をひそめたように、家々の上をおおいかぶさった、七月のある日ざかりである。男の足をとめた辻には、枝のまばらな、ひょろ長い葉柳が一本、このごろはやる疫病にでもかかったかと思う姿で、形ばかりの影を地の上に落としているが、ここにさえ、その日にかわいた葉を動かそうという風はない。まして、日の光に照りつけられた大路には、あまりの暑さにめげたせいか、人通りも今はひとしきりとだえて、たださっき通った牛車のわだちが長々とうねっているばかり、その車の輪にひかれた、小さな蛇も、切れ口の肉を青ませながら、始めは尾をぴくぴくやっていたが、いつか脂ぎった腹を上へ向けて、もう鱗一つ動かさないようになってしまった。どこもかしこ...
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2007-09-24T02:54:16+09:00
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蒲松齢 田中貢太郎訳 珊瑚
安大成は重慶の人であった。父は孝廉の科に及第した人であったが早く没くなり、弟の二成はまだ幼かった。大成は陳姓の家から幼な名を珊瑚という女を娶ったが、大成の母の沈というのは、感情のねじれた冷酷な女で、珊瑚を虐待したけれども、珊瑚はすこしも怨まなかった。そして、朝あさ早く起きては身じまいをして、母の所へ挨拶にいった。
大成がその時病気になった。母は珊瑚がみだらであるからだといって、ある朝珊瑚を責め詬った。珊瑚は自分の室へ入って化粧をおとして母の前へいった。それを見て母はますます怒った。珊瑚は額を地に打ちつけてあやまった。大成は親孝行であった。それを見て鞭を執って珊瑚を打った。それで母の気がすこし晴れてその場は収まったが、母はそれからますます珊瑚を憎んで、珊瑚が心から仕えても一言も物をいわなかった。
大成は母が珊瑚に怒っていることを知ったので、我が家に寝ずに他所で泊って、珊瑚と夫婦の交わりを絶...
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2007-09-24T02:54:16+09:00
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蒲松齢 田中貢太郎訳 五通
南方に五通というみだらにして不思議な神のあるのは、なお北方に狐のあるようなものである。そして、北方の狐の祟りは、なおいろいろのことをして追いだすことができるが、江蘇浙江地方の五通に至っては、民家に美しい婦があるときっと己の所有として、親兄弟は黙って見ているばかりでどうすることもできなかった。それは害毒の烈しいものであった。
呉中の質屋に邵弧という者があった。その細君は閻といって頗る美しい女であったが、ある夜自分の内室にいると一人の若い強そうな男が外から不意に入って来て、剣に手をかけて四辺を見まわしたので、婢や媼は恐れて逃げてしまった。閻も逃げようとしたが、若い男はその前に立ちふさがっていった。
「こわがることはない。わしは五通神の四郎だ。わしは、あんたが好きだから、あんたに禍をしやしない。」
そういって嬰児を抱きあげるように抱きあげ、寝台の上に置いた。閻は恐れて気を失ってしまった。五通神は...
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2007-09-23T02:54:14+09:00
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長谷川時雨 柳原※[#「火+華」, 第3水準1-87-62]子(白蓮)
一
ものの真相はなかなか小さな虫の生活でさえ究められるものではない。人間と人間との交渉など、どうして満足にそのすべてを見尽せよう。到底及びもつかないことだ。
微妙な心の動きは、わが心の姿さえ、動揺のしやすくて、信実は書きにくいのに、今日の問題の女史をどうして書けよう。ほんの、わたしが知っている彼女の一小部分をそれとて、日常傍らにある人の、片っぽの目が一分間見ていたよりも、知らなすぎるくらいなもので、毎朝彼女の目覚る軒端にとまる小雀のほうが、よっぽど起居を知っているともいえる。ただ、わたしの強味は、おなじ時代に、おなじ空気を呼吸しているということだけだ。
火の国筑紫の女王白蓮と、誇らかな名をよばれ、いまは、府下中野の町の、細い小路のかたわらに、低い垣根と、粗雑な建具とをもった小屋に暮している※(「火+華」、第3水準1-87-62)子さんの室は、日差しは晴やかな家だが、垣の菊は霜にいたんで。古くなったタオ...
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2007-09-22T02:54:31+09:00
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宮城道雄 私の若い頃
私は七八歳の頃、まだ眼が少し見えていたが、その頃何よりもつらく感じた事は、春が来て四月になると、親戚の子や、近所の子が小学校へ上ることで、私も行きたいが眼が癒らない。親達は気やすめに、学校用品を一揃い買ってくれたが、私はその鞄をかけて、学校へ行く真似をして一人で遊んでいた。眼を本につけるようにして、字を教えて貰ったこともあった。またおばあさんに時々学校の門へ遊びに連れて行って貰ったが、中でみんなが元気よく体操をしたり、遊戯をしたり、また唱歌を歌いながら、遠足に出かけたりするのを聞いていると、急に悲しくなって学校の門をつかまえて泣いたことが幾度もあった。
九歳の時、一番最後に診て貰った眼のお医者様が、この子の眼はもうどうしても癒らない。今後もよい医者とか薬とかいわれても決して迷ってはならないと、私のおばあさんに言われているのを聞いて、私はもう胸が一ぱいになった。今日こそは眼が治ると思って、...
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2007-09-22T02:54:31+09:00
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宮城道雄 山の声
私が失明をするに至った遠因ともいうべきものは、私が生れて二百日程たってから、少し目が悪かったことである。しかし、それから一度よくなって、七歳の頃までは、まだ見えていたのであるが、それから段々わるくなって、九歳ぐらいには殆ど見えなくなってしまった。それで、私が、今でも作曲する時には、その頃に私が見ていた、山とか月とか花とか、また、海とか川とかいうものの姿が、浮かんで来る。
こういうわけで、自然の色も何も見たことがない、本当の生れつきからの盲人にくらべると、私はその点では、恵まれているといわなければならぬ。
それにしても、私は子供の時に失明したので、私の心を慰めてくれるのは、音楽とか、或は春夏秋冬の音によって、四季の移り変りを知る他にはなかった。それで、音楽でも私は自然のものが非常に好きであった。
このような関係で、私は音楽の道に入ったが、作曲をするようになった動機というものは、私の父は十二三...
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2007-09-22T02:54:31+09:00
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宮城道雄 心の調べ
どんな美しい人にお会いしても、私はその姿を見ることはできませんが、その方の性格はよく知ることができます。美しい心根の方の心の調べは、そのまま声に美しくひびいてくるからです。声のよしあしではありません、雰囲気と申しますか、声の感じですね。
箏の音色も同じことで、弾ずる人の性格ははっきりとそのまま糸の調べに生きてまいります。心のあり方こそ大切と思います。七歳の年までに私を慰めてくれた月や花、鳥などが、私の見た形ある最後のものでした。それが今でも、美しく大切に心にしまってありますが、その二年後に箏を習い始めてから今日まで、私は明けても暮れても自分の心を磨き、わざを高めることにすべてを向けてまいりました。生活そのものが芸でなければならない、という信念で生きてまいりました。私のきた道芸に生きてきたことを幸福と思いますし、また身体が不自由であったために、芸一筋に生きられたと感謝しております。
と申し...
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2007-09-21T02:54:24+09:00
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蒲松齢 田中貢太郎訳 織成
洞庭湖の中には時とすると水神があらわれて、舟を借りて遊ぶことがあった。それは空船でもあると纜がみるみるうちにひとりでに解けて、飄然として遊びにゆくのであった。その時には空中に音楽の音が聞えた。船頭達は舟の片隅にうずくまって、目をつむって聴くだけで、決して仰向いて見るようなことをしなかった。そして、舟をゆくままに任しておくと、いつの間にか遊びが畢って、舟は元の処に帰って船がかりをするのであった。
柳という秀才があって試験に落第しての帰途、舟で洞庭湖まで来たが酒に酔ったのでそのまま舟の上に寝ていた。と、笙の音が聞えて来た。船頭は水神があらわれたと思ったので、柳を揺り起そうとしたが起きなかった。船頭はしかたなしに柳をそのままにして舟の底へかくれた。
と、人が来て柳の頸筋をつかんで曳き立てようとした。柳はひどく酔っているので持ちあがらなかった。そこで手を放すとそのまままたぐったりとなって眠ってし...
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2007-09-21T02:54:24+09:00
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蒲松齢 田中貢太郎訳 阿繊
奚山は高密の人であった。旅に出てあきないをするのが家業で、時どき蒙陰県と沂水県の間を旅行した。ある日その途中で雨にさまたげられて、定宿へゆきつかないうちに、夜が更けてしまった。宿をかしてくれそうな物を売る家の門口をかたっぱしから叩いてみたが、返事をするものがなかった。しかたなしに廡下をうろうろしていると、一軒の家の扉を左右に開けて一人の老人が出て来た。
「お困りのようだな。お入り。」
「有難うございます。」
山は喜んで老人についてゆき、曳いている驢を繋いで室の中へ入った。室の中には几も腰掛けもなかった。老人はいった。
「わしは、あんたがお困りのようだから、お泊めはしたが、わしの家は食物を売ったり、飲物を沽ったりする所でないから、手すくなでゆきとどかん。ただ婆さんと、年のいかない女があるが、ちょうど眠ったところじゃ。残りの肴はあるが、煮たきに困るので何もできない。かまわなければ、それをあげよ...
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2007-09-20T02:53:54+09:00
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宮本百合子 一九二七年春より
○雲に映るかげ
○茅野の正月
○ゴーゴリ的会の内面
○アルマ
○花にむせぶ(Okarakyo の夫婦、犬、息子(肺病))
○となり座敷(下スワの男、芸者二人。自分、Y、温泉)
○夢、
雲に映る顔
○夕やけの空を見て居る。
○家に居なくなった母
○雲が母の顔に見える
○子供山の向うに行ってしまう
○茅野
○かんてんをつくる木のわく沢山雪の上にある。
○寒い日当りのよいところがよい
○夜のうちに凍らす
○甲府
○兀突と結晶体のような山骨
○山麓のスロープから盆地に向って沢山ある低い人家
○山嶺から滝なだれに氷河のような雪溪がながれ下って居る。
○枯木雪につつまれた山肌 茶と色との配色 然し女性的な結晶のこまかさというようなものあり
○山と盆地
○下日部辺の一種複雑な面白い地形 然し小さし
○信州に入ると常磐木が多い。山迚も大きい感。常磐木があるので黒と白の配色。荘重 山と峡谷
○信州の女
○眼比較的大 二重瞼で、きっとしたような力あり。野性的の感
○蚕種寒...
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http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/43467_27909.html
2007-09-19T02:53:53+09:00
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泉鏡太郎 神鑿
朱鷺船
一
濡色を含んだ曙の霞の中から、姿も振もしつとりとした婦を肩に、片手を引担ぐやうにして、一人の青年がとぼ/\と顕はれた。
色が真蒼で、目も血走り、伸びた髪が額に被つて、冠物なしに、埃塗れの薄汚れた、処々釦の断れた背広を被て、靴足袋もない素跣足で、歩行くのに蹌踉々々する。
其が婦を扶け曳いた処は、夜一夜辿々しく、山路野道、茨の中を※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)つた落人に、夜が白んだやうでもあるし、生命懸の喧嘩から慌しく抜出したのが、勢が尽きて疲果てたものらしくもある。が、道行にしろ、喧嘩にしろ、其の出て来た処が、遁げるにも忍んで出るにも、背後に、村、里、松並木、畷も家も有るのではない。山を崩して、其の峯を余した状に、昔の
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http://www.aozora.gr.jp/cards/001051/files/4926_27893.html
2007-09-18T02:54:06+09:00
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蒲松齢 田中貢太郎訳 王成
王成は平原の世家の生れであったが、いたって懶け者であったから、日に日に零落して家は僅か数間のあばら屋をあますのみとなり、細君と乱麻を編んで作った牛衣の中に寝るというようなみすぼらしい生活をしていたが、細君が小言をいうので困っていた。それは夏の燃えるような暑い時であった。その村に周という家の庭園があって、牆は頽れ家は破れて、ただ一つの亭のみが残っていたが、涼しいので村の人達がたくさんそこへ泊りにいった。王成もその一人であった。
ある朝のことであった。寝ていた村の人達は皆帰っていったが、懶け者の王成一人は陽が高く昇るまで寝ていて起き、それでまだぐすぐすしていて帰ろうとすると、草の根もとに金の釵が一つ光っていた。王成が拾って視ると細かな文字を鐫ってあった。それは儀賓府造という文字であった。王成の祖父は衡府儀賓、すなわち衡王の婿となっていたので、家に残っている品物の中にその印のある物が多かった。...
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http://www.aozora.gr.jp/cards/001051/files/4927_27891.html
2007-09-18T02:54:06+09:00
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蒲松齢 田中貢太郎訳 嬰寧
王子服は※(「くさかんむり/呂」、第3水準1-90-87)の羅店の人であった。早くから父親を失っていたが、はなはだ聡明で十四で学校に入った。母親がひどく可愛がって、ふだんには郊外へ遊びにゆくようなこともさせなかった。蕭という姓の家から女をもらって結婚させることにしてあったが、まだ嫁入って来ないうちに没くなったので、代りに細君となるべき女を探していたが、まだ纏まっていなかった。
そのうちに上元の節となった。母方の従兄弟に呉という者があって、それが迎いに来たので一緒に遊びに出て、村はずれまでいった時、呉の家の僕が呉を呼びに来て伴れていった。王は野に出て遊んでいる女の多いのを見て、興にまかせて独りで遊び歩いた。
一人の女が婢を伴れて、枝に着いた梅の花をいじりながら歩いていた。それは珍らしい佳い容色で、その笑うさまは手に掬ってとりたいほどであった。王はじっと見詰めて、相手から厭がられるということも忘れていた...
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